一日の記憶は、終わり方でほとんど決まる
たくさん片づけた日なのに、夜になって「今日はいまいちだった」と感じることがある。逆に、しんどいことが多かった日を、後から思い出すと「まあ悪くなかった」に変わっていることもある。実際に何が起きたかと、後でどう覚えているかは、同じものではないらしい。
記憶を決めるのは、平均ではなかった
心理学者の Daniel Kahneman らは 1993 年、痛みをともなう体験を人がどう記憶するかを調べる実験を行いました1。被験者に冷たい水へ手を浸す不快な試行を2種類経験させます。ひとつは短い試行。もうひとつは、同じ苦痛を経験したあと、水温をわずかに和らげてもう少し長く続ける試行です。総量で見れば、苦痛にさらされた時間は後者のほうが明らかに長い。それでも「次にどちらを繰り返したいか」と尋ねると、多くの被験者は苦痛の総量が多いほうを選びました。
この結果から Kahneman らは、人が体験を振り返るときの記憶は、その最中に感じた苦痛の平均や合計ではなく、もっとも強く感じた瞬間(ピーク)と、終わり際に感じたことに強く引っ張られると結論づけています。総時間の長さそのものは、記憶にはほとんど反映されません。これは「ピーク・エンドの法則」と「持続時間の無視」と呼ばれています。
これは実験室での身体的な苦痛の記憶を対象にした研究です。仕事や日常のタスクをどう振り返るかを直接調べたものではありません。
「今、感じていること」と「後で覚えていること」は別
Kahneman はのちに、この違いを「経験する自己」と「記憶する自己」という言い方で整理しています2。今まさにその瞬間を生きている自己と、後から振り返ってその体験を評価する自己は、同じ経験に対して違う答えを出す、という見立てです。一日の終わりに「今日はどうだったか」と自問するとき、答えているのは記憶する自己のほうです。
だとすれば、一日の途中でどれだけ多くのことをこなしたかよりも、際立った瞬間が何だったか、そして一日がどう終わったかのほうが、その日を「良い日だった」と思い出せるかどうかを左右している可能性があります。
一日の終わりに、区切りを作る
記憶が終わり方に強く引っ張られるのだとすれば、一日の最後に何が起きるかには、費やした時間に見合わないくらいの意味があることになります。多くのタスク管理は、その終わり方を設計していません。リストが全部消えないまま日付が変わり、「今日はどうだったか」と自問する瞬間そのものが用意されていない。
TodOne がどうしているか
TodOne は、今日ぶんのタスクをすべて終えると「今日のタスクはすべて完了です」と表示します。何時間そこにかけたか、途中で何度つまずいたかに関わらず、一日の最後にこの一文で締めくくられる。
この記事で挙げた研究は、身体的な苦痛の記憶についてのものであり、一日を通じた充実感を保証するものではありません。それでも、一日の記憶が途中経過の総量ではなく際立った瞬間と終わり方に引っ張られるのだとすれば、一日の終わりに区切りを用意しておくことには意味があるかもしれません。小さな前進が見える話ややり残しを閉じる話とも、向いている方向は同じです。
一日の途中がどうであれ、終わり方を工夫することで、その日の価値は大きく変わるのです。