今日のリストが長いだけで疲れるのは、気合いが足りないからではない
難しいタスクは1つもない。それなのに、10件以上並んだリストを開いた瞬間、見ただけで疲れることがある。中身を検討する前の話だ。これを「気合いが足りない」で片づけてしまうと、次はもっと頑張ろうとして、また同じところで疲れる。
頭に同時に置いておける数には、もともと上限がある
心理学者の George Miller は 1956 年、記憶・判断に関するそれまでの実験結果を横断的にまとめた論文を発表しました1。数字の並びや単語のリストを一度見せて直後に再生させる実験など、複数の課題に共通して、人が一度に保持できる要素の数はおよそ 7 前後(多くて 9、少なくて 5)に収まる傾向がある、というものです。
Miller 自身、この「7」を厳密な定数としてではなく、人の即時的な記憶容量には見た目より小さい天井があることを示す目安として提示しています。項目どうしをまとめて1つの塊として扱う「チャンク化」ができれば、扱える情報量は増える。ただし、一度に扱える塊の数そのものは、増えない。
Nelson Cowan は 2001 年、その後数十年にわたる実験データを再検討し、リハーサル(頭の中で繰り返し唱えること)やチャンク化を防いだ条件に絞ると、実際の上限はさらに小さく、3 から 5 程度に収まると論じました2。「7」は、被験者が無意識にチャンク化している分を含んだ数字だった、というのが Cowan の見立てです。
この2本が調べたのは、数字や単語の並びをその場で覚えて再生する、実験室の記憶課題です。ToDo リストを眺める場面を調べたものではありません。
「書いてあるから覚えなくていい」は、半分しか正しくない
リストに書けば、内容そのものを暗記する必要はなくなる。ここまでは正しい。
ただ、リストを眺めて「次は何をやるか」を決める瞬間には、書かれた項目を一度は目で拾い、比較し、選ぶという作業が挟まる。この比較・選択の作業台として使われている間だけは、項目は一時的に頭の中に乗る。台に乗る数が、Miller や Cowan が扱った容量の話と同じ種類の制約を受けるとすれば、台が狭ければ狭いほど、乗せ切れない項目がこぼれ続けることになる。
リストを開いた瞬間の重さの正体が「中身の難しさ」ではなく「乗せなければいけない数そのもの」だとすれば、難しいタスクが1つもないのに疲れる、という冒頭の感覚には説明がつきます。
件数を減らすと、容量の話ではなくなる
上限が3から5あたりにあるのだとすれば、対策は「もっと集中力を上げて多く抱える」ではなく、そもそも台に乗る数を減らす方向になる。
10件のリストは、それぞれの項目の難易度に関わらず、比較・選択の作業台からあふれる。3件や4件のリストは、あふれない。同じ人が同じ集中力で見ても、件数だけで「頭の中で持て余す」か「持て余さない」かが変わる、ということになる。
TodOne がどうしているか
TodOne は、今日ぶんのタスクを数件だけ表示します。件数を絞っているのは見た目をすっきりさせるためだけではなく、比較・選択の作業台に乗り切る量に収めるためでもあります。
ここで挙げた研究は、数字や単語の記憶課題についてのもので、ToDo リストの適正件数を検証したものではありません。それでも、頭の中に同時に置いておける数には、もともと小さな天井があるという事実は、件数を絞ること自体に理由を与えます。昨日のタスクが残る話が「何が乗っているか」の質を問題にしていたのに対して、こちらは乗せる数そのものの話です。
リストが長いと疲れるのは、気合いの問題ではありません。台からあふれているだけです。
Footnotes
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Miller, G. A. (1956). The magical number seven, plus or minus two: Some limits on our capacity for processing information. Psychological Review, 63(2), 81–97. ↩
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Cowan, N. (2001). The magical number 4 in short-term memory: A reconsideration of mental storage capacity. Behavioral and Brain Sciences, 24(1), 87–114. ↩